陸軍中野学校二俣分校址碑 [Z900RSと600km以上]
3月中旬、静岡に行った際に立ち寄った場所。
ちょっと近くに駐車。
由来:
昭和十九年、大東亜戦争愈々苛烈を加うる秋
陸軍中野学校は、有激選幹部要員要請のため
ここ遠州二俣、旧工兵第三聯隊厩舎を選びて
分校を開設、教育を受けたるもの、四期、
八百有余名に及ぶ。
「誠」に結ばれし若武者は、或る北海、南溟
の各地に、或は本土防衛の要衝に奮戦し、
その任に殉じたもの少なからず。
二俣分校の見取り図。
浴場や炊事場も。
当時の状況。
写真じゃないけど、絵でも臨場感が伝わったり。
錨。
渡河訓練船錨:
この「いかり」は、明治末から大正はじめにかけ
陸軍師団豊橋18連隊の工兵隊員が大園地内で、
天竜川架橋演習に用いた渡河訓練用錨です。
鉄線を錨で固定し横に並べ、その上に板を渡し
架橋をつくるものです。
錆びついているが、当時としては画期的な
ステンレス製で作られた錨です。
ここまでくると激落ちくんでも
錆は落とせないだろうな。
昭和19年の秋に入学したのに、その翌年には
終戦になると生徒は思わなかっただろうな。
と思いつつ見学完了。
ちょっと近くに駐車。
由来:
昭和十九年、大東亜戦争愈々苛烈を加うる秋
陸軍中野学校は、有激選幹部要員要請のため
ここ遠州二俣、旧工兵第三聯隊厩舎を選びて
分校を開設、教育を受けたるもの、四期、
八百有余名に及ぶ。
「誠」に結ばれし若武者は、或る北海、南溟
の各地に、或は本土防衛の要衝に奮戦し、
その任に殉じたもの少なからず。
二俣分校の見取り図。
浴場や炊事場も。
当時の状況。
写真じゃないけど、絵でも臨場感が伝わったり。
錨。
渡河訓練船錨:
この「いかり」は、明治末から大正はじめにかけ
陸軍師団豊橋18連隊の工兵隊員が大園地内で、
天竜川架橋演習に用いた渡河訓練用錨です。
鉄線を錨で固定し横に並べ、その上に板を渡し
架橋をつくるものです。
錆びついているが、当時としては画期的な
ステンレス製で作られた錨です。
ここまでくると激落ちくんでも
錆は落とせないだろうな。
昭和19年の秋に入学したのに、その翌年には
終戦になると生徒は思わなかっただろうな。
と思いつつ見学完了。