源平倶利伽羅合戦の地 [Z900RSと600km以上]
11月上旬、石川に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所に駐車。
早速、合戦の地へと思ったら・・・・
倶利伽羅山の花咲きじいさん:
石川、富山県境の倶利伽羅山に約七千本の八重桜を
植えた高木勝巳翁の功績を称えここに由来版を建てる。
昭和九年、倶利伽羅山の天田峠の谷底に車もろとも
転落し一命をとりとめた。その後、不動明王が枕元に
現れ「倶利伽羅山が荒れ果てている」とのお告げを
受け、この加護で命拾いをしたとして昭和三十四年
から毎年五百本の桜の植樹を始めた。
命拾いしてから二十五年後なのは・・・・
まぁ、気にしない。
猿が堂。
由来:
その昔、原と言うところにかしこい猿がいて
人間の真似をして幼児を熱いお湯に入れて
死なせた。猿は追れこの地に住み旅人に
悪さを重ねて殺されました。
元の飼い主が弔いのお堂を建てたと言う。
なんだろう!?。なんか猿に同情できない・・・・
そんな猿が居た近くに平氏は本陣を構築したと言う。
源平倶利伽羅合戦の地に到着。
ちょっと離れた展望台に
倶利伽羅峠合戦の説明。
寿永二年(1183)平家打倒のために挙兵した
源義仲は、都から進攻してきた平維盛を
総大将とする平家の軍勢と、倶利伽羅峠
で激突する。
5月11日夜半、義仲は軍勢を7手に分け
平家軍に夜襲をかける。その際、角に
松明を付けた牛、4-500頭を平家軍に
向かわせ平家軍は大混乱に陥ったと言う。
こんなのが4-500頭来るとは・・・・・・
いきなりステーキな感じだったのかも。
いきなりステーキでも完食できるな。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所に駐車。
早速、合戦の地へと思ったら・・・・
倶利伽羅山の花咲きじいさん:
石川、富山県境の倶利伽羅山に約七千本の八重桜を
植えた高木勝巳翁の功績を称えここに由来版を建てる。
昭和九年、倶利伽羅山の天田峠の谷底に車もろとも
転落し一命をとりとめた。その後、不動明王が枕元に
現れ「倶利伽羅山が荒れ果てている」とのお告げを
受け、この加護で命拾いをしたとして昭和三十四年
から毎年五百本の桜の植樹を始めた。
命拾いしてから二十五年後なのは・・・・
まぁ、気にしない。
猿が堂。
由来:
その昔、原と言うところにかしこい猿がいて
人間の真似をして幼児を熱いお湯に入れて
死なせた。猿は追れこの地に住み旅人に
悪さを重ねて殺されました。
元の飼い主が弔いのお堂を建てたと言う。
なんだろう!?。なんか猿に同情できない・・・・
そんな猿が居た近くに平氏は本陣を構築したと言う。
源平倶利伽羅合戦の地に到着。
ちょっと離れた展望台に
倶利伽羅峠合戦の説明。
寿永二年(1183)平家打倒のために挙兵した
源義仲は、都から進攻してきた平維盛を
総大将とする平家の軍勢と、倶利伽羅峠
で激突する。
5月11日夜半、義仲は軍勢を7手に分け
平家軍に夜襲をかける。その際、角に
松明を付けた牛、4-500頭を平家軍に
向かわせ平家軍は大混乱に陥ったと言う。
こんなのが4-500頭来るとは・・・・・・
いきなりステーキな感じだったのかも。
いきなりステーキでも完食できるな。
と思いつつ見学完了。