忠治とまどいの松 [ZX-14Rと300km超]
9月、陸王を見に行った時に立ち寄った所。
国道406号線、東吾妻町と高崎市境界。
到着ッ。
ヒョロヒョロとしているけど結構大きい松。
折角かっこいい字で書いてあるのに・・・読めなかった。
忠治とまどいの松の説明。
初代は昭和12年に枯れて、現在3代目の松。
1836年(処刑される14年前) 忠治さんは大戸の関所破り
をする前に、この松のたもとで悩んでいたとの事。
(だから、とまどいの松)
"ゆっくり走るべぇ~"。
松のたもとにはこんな看板も。
忠治さんが関所破りの時、ゆっくり走ったかは不明。
見学完了ッ!
秋の交通安全運動も始まるし・・・・(参照)
国道406号線、東吾妻町と高崎市境界。
到着ッ。
ヒョロヒョロとしているけど結構大きい松。
折角かっこいい字で書いてあるのに・・・読めなかった。
忠治とまどいの松の説明。
初代は昭和12年に枯れて、現在3代目の松。
1836年(処刑される14年前) 忠治さんは大戸の関所破り
をする前に、この松のたもとで悩んでいたとの事。
(だから、とまどいの松)
"ゆっくり走るべぇ~"。
松のたもとにはこんな看板も。
忠治さんが関所破りの時、ゆっくり走ったかは不明。
見学完了ッ!
秋の交通安全運動も始まるし・・・・(参照)
ゆっくり走るべぇ~
忠治さん、どんなことを悩んでいたんでしょうかね。
by toshi (2016-09-13 06:48)
松も三代目ですか・・・・
これからも、語り継がれて行くんでしょうね(^_^)v
by tarou (2016-09-13 10:57)
>toshiさん
コメントありがとうございます。
やっぱり関所破りが怖かったのかもしれませんね。捕まりそうになると、
関東取締役の治外範囲になる長野に逃げると言う生活を繰り返しして
いたみたいですし・・・・。逃げるのも大変だったのかも。
>tarouさん
コメントありがとうございます。
国道406号線がある限りは、松も代を重ね、国定忠治の英雄伝も語り
継がれていくのかもしれませんね。1代目は昭和12年まで生きたみたい
ですが、すでに3代目。2代目が短命だったのかも。
by tai-yama (2016-09-13 23:01)