SSブログ

木曽義昌公史跡公園 [ZX-14Rと茨城、千葉、300km圏内]

3月上旬、千葉県内を走った時に立ち寄った場所。

DSC02347.jpg
DSC02360.jpg
到着。

DSC02346.jpg
木曽義昌公の銅像。
旭将軍と呼ばれた木曽義仲の子孫とかなんとか・・・

sasen.jpg
木曽と名乗っていたので木曽谷の領主だったけど、

・武田信玄に下る
・武田家がダメになったので手を切り信長に下る
・(本能寺の変で)織田家がダメになったので北条家に下る
・北条家がダメになったので家康に下る
・家康が小牧長久手の戦いで秀吉に負けたので秀吉に下る
・家康関東移封に伴い、同伴。千葉旭へ

見事なまでの逆張り人生。

DSC02357.jpg DSC02358.jpg

木曽義昌のお墓。水葬との事。
戦国、江戸初期の頃は荼毘はなかったのかな?

DSC02355.jpg
時世の句。
"信濃に居たけど、旭(朝日)が見たかったので千葉にきたぜ"な感じかな?

DSC02361.jpg
現代のサラリーマンに通じるものを感じながら見学完了。

千葉旭の将軍という言い方をすれば、
義仲公と同じ旭将軍だったり。

nice!(26)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:バイク

nice! 26

コメント 4

deepredcocktail2

呂布みたいですね(すぐ三国志に例えてしまう・・・笑)
by deepredcocktail2 (2017-05-17 11:34) 

tai-yama

>deepredcocktail2さん
コメントありがとうございます。
呂布は董卓か袁紹に仕えていればよかったのかも。独立するには
無理があった感じですし・・・・。仕える人(会社・上司)によって
運命が変わるのは今の時代でも同じなのかも(笑)。
by tai-yama (2017-05-17 23:16) 

響

世渡り上手の先読み下手っ事ね(笑)
by (2017-05-18 21:00) 

tai-yama

>響さん
コメントありがとうございます。
戦国時代はそれこそ、仕える人(もしくは味方にする人)を間違える
とそのまま終了してしまう時代だったので・・・。家康に仕える
のは間違っていなかったのですが、時期が悪かったのもあり(悲)。
全盛期は10万石あったのに最後は千葉の田舎で。これも運命ですね。
by tai-yama (2017-05-18 23:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

道の駅 久米の里KAZE VOL.251 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。